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初めの想定が実現してしまった。これから何が始まるの?
1994年にスタートした日本でのインターネット普及は、これから何が始まるのか、将来、何が出来るのか、想像力をかき立て、様々な想定が語られました。今日のGoogleもYouTubeもIPTVもネット通販も、当時の想定の範囲内であり、技術や方法は目を見張るものがありますが、驚くことではありません。

でも想定出来なかったことが一つ、インターネットの影響を受けて、我々の思考方法と社会が急激に変化したことです。変化したと気がつかないほどの、約10年間で起きた、急激な変化です。
今もインターネットは変化を続けています。しかし、その変化を説明するのに、10年前の、ペンと紙、book、新聞、ラジオ、TVの「言葉」で語らなければならないところに、インターネットの難しさがあります。先回お話した、…インターネットの進歩は、「言葉」では説明が難しくなっている。…の状況です。

では、今までは何とかなっていたのですが、これからは新しいコミュニケーション方法を考えなければならないのでしょうか?
10年前の「言語思考」では駄目なので、新しい「言語思考」に進歩すれば可能なのでしょうか。それとも「言語思考」に代わる新しい理解方法を発明しなければならないのでしょうか。

気が付かない程、急激な変化なので、今ではほとんどの人が「言語思考」に無意識に変更を加えて、何とか説明をしようとしています。ブログの出現はその延長にあるものです。インターネット発祥そのものが、言語機能の拡張拡大を目指したものですから、その意味でブログは「言語思考」の優等生なのですが、副産物として、言語からこぼれ落ちるものを生み出していることも確かです。そして、これを今の「言葉」で表現できないところが、変化の本質なのです。

これからのインターネット技術の進歩は、言葉で表現できないものを、どんどん生み出して行くことの連続になると思います。しかし、現代とは、「言語思考」での理解が、「人間の理解」ということになっているので、社会や人間は、言葉で表現できないインターネットを、ますます受け容れ難くなって行きます。唯一、ビジネスの成功が裏打ちされてあれば、否応なく受け容れ、これまでの10年のように、理解するフリをする状況が続くことになります。
しかし、人間の対応能力とはこんなものでしょうか?。
気が付かない程の変化とは、頭脳が肉体的成長をしていたからなのかも知れません。事実、インターネットの出現により、10年前の2〜3倍の情報量を我々の頭脳はこなしています。「言語思考」が変化に気付かないのは、頭脳と肉体が、代わりに自らのCPUとハードディスクを、新しいものに少しづつ交換をしていた10年だったからなのかも知れません。

こう考えると、次の理解のための「言語思考」の改良とは、新しくなった頭脳と肉体のCPUとハードディスクを使用する、新しいアプリケーションとして出現してくることになります。
果たして、こんなに上手く進むのでしょうか?。インターネットの進化のスピードに、頭脳と肉体の変化がついて行けるのでしょうか?。そして、今でも限界が見えている「言語思考」が新型に改良をされたとしても、役に立つのでしょうか。
「言語思考」を理論のベースにする「科学」。科学の成果は論文に翻訳され評価されるので科学は「言語思考」そのものなのですが、その科学が、限界を感じ突破を試みていると同じように、人類は、言葉と紙とペンの発明により続いてきた文明を、どうにかしなければならないようです。

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インターネットの進歩は、「言葉」では説明が難しくなっている。
 何事も、始まりの想定が、一つ一つ実現して行く事。これが「進歩」と言われます。そして、想定がなくて、突然出現するものは、反対に、進歩を妨げるものとさえ言われます。
インターネットの初めには、webのコンテンツは「Home Pages」と名付けられ、つまり従来のbookの概念で説明され、伝達のツールとして定義されました。でも今となっては、初期の普及の功績は大なのですが、「Home Pages」という名称が、理解を妨げる大きな障害にすらなっています。
新しいモノを表現し伝達する場合、人間は、「既存」の概念や言葉でしか、未知や未来を表現出来ないというプロトコルで動きます。ですから、webのコンテンツを「Home Pages」と名付けたことは、初期の理解として当然なことなのですが、10年もたたない内に、使いモノにならなくなるのは、インターネット側に問題があるからなのかもしれません。
「 Pages」とは、bookのページをめくり、読み進んで行く、つまり線形的なのですが、webコンテンツは、バケツの中に投げ入れられた情報を、リンク或いはタグで掬い上げる、つまり非線形的な動きが出来るので、その動きを「pages」では説明できないから、役に立たないと考えられます。そして、現在インターネットは、非線形的な思考をどんどん強めていて、初期の既存のbook思考で定義付けられた概念からどんどん離れて行くので、既存の仕組みを壊す、危険なモノとして敵視される存在にまでなっています。
今のgoogleやyouTubeは理解できても、その先は初期の想定を越えてしまうので、「既存」の概念や言葉では、十分に説明出来なくなる、そんな種類の恐怖です。

最近のインターネットの進歩は、ますます「言葉」では説明が難しくなっています。
現代とは、モダーンとは、「言語思考」での理解が、「人間の理解」ということになっているので、「Home Pages」という「言語思考」そのものの名称を与えられたモノが、「言葉」で説明するのが難しくなってゆくというのは、何が始まるのか、何が出てくるのか分からない、自己崩壊の恐怖のように見えるのです。
そしてそれが、宇宙人ではなく同じ人間から出てくるという、ジャンヌ・ダルク的社会現象なのです。
インターネット初期には、第三次産業革命が始まると言われましたが、最近の動きは、社会現象を巻き込んで、産業革命を支える思考革命、宗教革命にまで深化しようとしています。
どうしたら、我々は未来のインターネットを理解できるのだろうか?、「言葉」つまり「言語思考」で難しいとすれば、どんな方法があるのか。「言葉」があって人間が進化してきた方法を、再検討しなければならないのだろうか。人間を止めずに「言葉」以外の方法があるのだろうか。それともインターネットが新しい理解方法を発明することになるのだろうか…?。
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始めに
 1994年12月に、サービスプロバイダー 「ベッコアメ」が生まれました。これが日本でのインターネット大衆化のスタートです。後を追いリムネットなど、爆発的に日本各地でプロバイダーが設立され、それはWINDOWSシリーズの発売前年にあたり、程なく「Windows 95]が発売され、その未知なるモノ達は、瞬く間に人々の心を捕らえ、熱狂的に全国に広がって行きました。
 当時、各地で開かれたインターネット説明会では、出席の1割がネット経験者で、9割は未経験者という、ホームページ、ネットサーフィン、Eメールなど、言葉だけで舞い上がってしまう、今となっては、マルチ商法の集まりのようでありました。

当時の関心は、インターネットで何が出来て、それが世界を変えるのではないか、第三次産業革命なのではないか、とすれば変化の時点に立ち会わなければならない。という使命感のようなものでした。

どんなビジネスが可能になるのだろうか。商売人は想像力を巡らしました。アメリカ開拓者時代、西へ西へと大陸を馬車で進んだ時と同じように、想像力が豊かなものが人気者になりました。

そして14年後、2008年の今。開拓者は、開拓地に到達し、ある者は大牧場主となり、小麦の大生産者になり、しかし多くの人々は、牧童や農民になってしまいました。

これで物語は終わりなのでしょうか?。
このブログでは、こんな物語の続きを「お話し」をして行きたいと考えています。
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